Japan's History · Section 1

岩宿遺跡と相沢忠洋

1949年、群馬県みどり市にある岩宿遺跡で 関東ローム層から打製石器が発見されました。

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Transcript

  1. 1949年、群馬県みどり市にある岩宿遺跡で
  2. 関東ローム層から打製石器が発見されました。
  3. 旧石器時代の発見です。
  4. これをきっかけとして、
  5. 日本全国で旧石器時代の遺跡の発見が相次ぐこととなります。
  6. 岩宿遺跡の発見者として知られる相沢忠洋は、
  7. 歴史の街鎌倉で幼少期を過ごします。
  8. その頃住んでいたのは
  9. 鎌倉の東側、浄妙寺の辺りにある家でした。
  10. ある時、歌舞伎の囃子方をしていた父が、
  11. 歌舞伎の巡業で九州へと出かけて不在となり、
  12. 5人の子供と母親一人という生活をするようになります。
  13. この頃から相沢家の一家団欒は壊れ始めてしまうのです。
  14. きっかけは妹の死でした。
  15. 風邪の悪化による妹の死は、
  16. 相沢忠洋さんの生活を暗いものにしていきます。
  17. 父と母が離婚して、
  18. 相沢さんは近くの杉本寺に預けられるのです。
  19. 当時の日本は戦争へと向かっていく最中で、
  20. 軍港である横須賀に近い鎌倉は、
  21. 軍関連の建物が建てられる工事が頻繁に行われていました。
  22. そんな工事現場から出てくる土器の欠片に相沢さんは興味を持ちます。
  23. 大昔の人々は父が狩りに出かけて、母が土器を作り、
  24. 夜になれば火を囲んでその日あったことを話していた。
  25. そのような一家団欒の生活に思いを馳せたのです。
  26. こうして相沢さんは孤独を埋めるかのように、
  27. 遺跡や遺物に特別な感情を抱き始めます。
  28. しかし、鎌倉にも別れを告げる時が来ました。
  29. 父が群馬県の桐生市へと引っ越すから、
  30. 相沢さんも連れて行くというのです。
  31. こうして少しの間桐生市で過ごすのですが、
  32. すぐに浅草にある履物屋で働き始めます。
  33. この頃にも古代への憧れは持っており、東京帝室博物館、
  34. 現在の東京国立博物館に通ったり、
  35. そこで出会った人に土器を見せてもらったりしていました。
  36. しかし、年が進むにつれて戦争の色は濃くなっていき、
  37. 相沢さんも海軍に志願することとなります。
  38. こうして横須賀で海兵団に入団。
  39. 東京湾での試験の後、訓練地である瀬戸内海へと出港します。
  40. こうして呉へと到着し、1945年8月六日を迎えるのです。
  41. 当時相沢さんが乗り組んでいた駆逐艦蔦は、
  42. 呉で人間魚雷回天を搭載した艦艇に改装された後、
  43. 山口県屋代島へと移動して待機していたところでした。
  44. 広島に爆弾が投下されたと聞いて、
  45. 「いよいよ出撃命令が出るな」と思っていた数日後、
  46. 甲板の上で玉音放送を聞くこととなります。
  47. 終戦。
  48. これによって相沢さんは桐生市へと帰ることとなり、
  49. 行商をしながら生きていくこととなるのです。
  50. こうして村を回って商売を行っていくこととなり、
  51. ある日の商売の帰り道、
  52. 相沢さんは山を掘削して作った道である
  53. 切通を通ることとなります。
  54. その両脇には崖があり、中には赤土がありました。
  55. 関東ローム層です。
  56. 関東ローム層というのは、
  57. 関東周辺にある火山が噴火した際に
  58. 積もった火山灰が長い年月をかけて
  59. 酸化して色が赤くなった土の層のことです。
  60. その関東ローム層から相沢さんは小さな石の欠片を採集します。
  61. この赤土の崖から取れた小さな石の欠片が、
  62. 相沢さんを考古学の奥底へと誘っていくのです。
  63. 当時は関東ローム層の時代には人間は住んでいなかった。
  64. その中から石器が出るはずがないという考え方が常識だったので、
  65. 相沢さんはこの小さな石の欠片をどう解釈するべきかと苦しみます。
  66. 石器があるとすれば、人が住んでいた。
  67. 人が住んでいたとすれば土器が見つかる。
  68. そのはずなのに、土器が出土することもなかったのです。
  69. しかし、何度調査しても、
  70. 赤土の崖からは石の欠片だけ見つかって土器が見つかりません。
  71. 縄文早期の文化について知りたい、
  72. その一心で相沢さんは東京の先生たちと連絡を取ります。
  73. こうして相沢さんは考古学を続けていくのですが、
  74. 赤土の崖だけは特別でした。
  75. 他の遺跡の調査や商売をしながら、
  76. 相沢さんは一人で赤土の崖を調査し続けていきます。
  77. やはり土器は見つからず、
  78. 石器を作った後のような石の欠片が出土します。
  79. もしかしたらこの辺りには土器を使わずに
  80. 石器だけで生きていた先祖がいたのではないか。
  81. 相沢さんは次第にそう感じ始めます。
  82. そんな時に発見したのが、この黒曜石の槍形尖頭石器です。
  83. 教科書で見たことがある人も多いでしょう。
  84. この石器の発見によって、
  85. 相沢さんは土器を使わずに
  86. 石器だけで生きていた時代があることを確信します。
  87. こうして相沢さんは東京の先生たちにこのことを報告。
  88. ついに赤土の崖が本格的に発掘されるのです。
  89. こうして土器を使わずに石器だけで生きていた時代、
  90. 旧石器時代が発見された赤土の崖は、
  91. 現在では岩宿遺跡という名で知られています。
  92. 岩宿遺跡の発見者としてだけでなく、
  93. 旧石器時代の発見者としても、
  94. 相沢忠洋さんの名前は現在も広く語り継がれています。