Japan's History · Section 1
歴史上のショートスリーパー
一日三時間しか眠らなかったと語り継がれる英雄たちがいます。 しかし、資料をたどると、
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Transcript
- 一日三時間しか眠らなかったと語り継がれる英雄たちがいます。
- しかし、資料をたどると、
- その多くは仮眠の達人だっただけかもしれません。
- 今回は四人の伝説的ショートスリーパーを
- 一、ナポレオン、二、ダ・ヴィンチ、三、織田信長、四、二宮尊徳の順で検証し、
- 本物と誇張を見分けます。
- では第一章、ナポレオンです。
- 士官学校時代から一日三から四時間しか眠らないという伝説が語り継がれてきました。
- しかし、この伝説には裏があります。
- 側近だった秘書ブールリエンヌの回顧録には、
- 実際には一日六から七時間ほど眠っていたという記述が残っています。
- では、なぜ三時間という数字だけが広まったのか。
- 理由は、ナポレオンが馬上や会議の合間に
- 頻繁に短い仮眠を挟んでいたためです。
- まとまった睡眠に見えなかっただけで、
- 総睡眠時間は決して短くなかったという説が有力になっています。
- さらに興味深いのは、1815年のワーテルローの戦いです。
- 側近の証言によれば、
- この決戦でナポレオンは寝不足と疲労のため、
- 重要な局面での判断力が明らかに鈍っていたといいます。
- 本当のショートスリーパーであれば起きないはずの失態が、
- 歴史を動かす戦場で起きていた。
- 三時間睡眠の英雄ではなく、
- 分割睡眠で乗り切っていた不眠症の指揮官、
- それが実像に近いようです。
- 続いて第二章、レオナルド・ダ.ヴィンチです。
- 四時間おきに十五分だけ眠る多相性睡眠を実践していた
- という逸話があります。
- 単純計算すると、一日の総睡眠時間はわずか一時間半。
- ナポレオンよりさらに極端な数字です。
- この睡眠法が本当なら、
- 浮いた時間で膨大な手稿とスケッチを生み出せた説明にもなります。
- ただし、この逸話の出典を遡ると、
- 同時代の一次史料には行き着きません。
- 弟子たちの証言には、
- 師はよく昼寝をしていたという記述も残っており、
- 後世になってから天才の生産性の秘密として
- 脚色された可能性が指摘されています。
- つまり、ダ.ヴィンチの多相性睡眠は、史実というより、
- 伝説が伝説を呼んだケースに近いのかもしれません。
- 続いて第三章、織田信長です。
- 三時間睡眠で天下統一を目指したという逸話が広く知られています。
- 若い頃から研究熱心で、
- 長槍の戦法を完成させるために
- 寝食を惜しんで没頭したという記録は確かに残っています。
- しかし、ここで対照的なのが徳川家康です。
- 家康は夜九時に就寝し、朝六時に起床。
- 一日およそ九時間眠るという、
- 当時としては非常に規則正しい生活を送っていました。
- 天下を最終的に手にしたのは三時間睡眠の信長ではなく、
- 九時間眠った家康だった。
- この事実は、
- 睡眠を削ることと歴史に勝つことは
- 必ずしも一致しないことを示しています。
- 最後に第四章、二宮尊徳です。
- 江戸後期、荒廃した佐倉町、
- 現在の栃木県の農村復興を任された尊徳は、
- 天候にかかわらず未明から村を見回り続けました。
- 伝わる記録では、その睡眠時間はおよそ四時間。
- 勤勉の象徴として、
- 後に二宮金次郎の像となって
- 全国の小学校に置かれるほどの美談になりました。
- しかし、この働き方を現代の視点で見ると、印象は変わります。
- 休息を極限まで削って生産性を保とうとする姿勢は、
- 現代であれば過労として扱われかねません。
- 勤勉の象徴として語り継がれてきた四時間睡眠の裏には、
- 身を削るようにして成果を出し続けた
- 一人の人間の代償があったのです。
- 結局、四人に共通していたのは、短眠そのものではなく、
- 休息の取り方を工夫していたという点でした。
- 本当の意味での三時間睡眠を生涯にわたって証明できた者は、
- 歴史上ほとんど見当たりません。
- チャンネル登録で毎日21時30分に歴史の真相をお届けします。
- さて、あなたはこの四人の中で本当のショートスリーパーは
- 誰だったと思いますか?
- 一、ナポレオン、二、ダ.ヴィンチ、三、織田信長、四、二宮尊徳、
- 番号でコメントしてください。
- あなたの視点がこの歴史の読み方をさらに深めます。