Japan's History · Section 1
皇女和宮の生涯
昭和33年、東京の増上寺で徳川将軍家の墓が掘り返された。 その中に一人の女性の亡骸があった。
Level: N1 · 67 sentences
Transcript
- 昭和33年、東京の増上寺で徳川将軍家の墓が掘り返された。
- その中に一人の女性の亡骸があった。
- 胸には一枚のガラスの写真が抱かれていた。
- 写真は翌日、跡形もなく消えていた。
- 亡骸の主は和宮である。
- 和宮は仁孝天皇の王女として生まれた。
- 父は彼女が生まれる前に世を去っている。
- 兄は孝明天皇。
- のちに攘夷を強く願い続けた帝である。
- 六歳の時、和宮には婚約者が決まった。
- 有栖川宮熾仁親王である。
- 京の都で皇族として穏やかに嫁ぐはずの人生だった。
- だが黒船が来て時代が裂けた。
- 幕府は朝廷の権威にすがろうとする。
- 公武合体。
- 朝廷と幕府を結びつけ、揺らぐ国をまとめるという策である。
- その証として求められたのが王女を将軍に嫁がせることだった。
- 白羽の矢が立ったのが和宮だった。
- すでに婚約者がいる身である。
- 和宮は拒んだ。
- 関東へは行きたくない。
- そう繰り返したと伝えられる。
- だが、兄の帝も周りの公家も、最後には彼女を説き伏せた。
- 婚約は破棄された。
- 十六歳の和宮は中山道を下って江戸へ向かう。
- 行列は数十キロに及んだとも言われる。
- 襲撃を恐れ、沿道は厳しく固められた。
- 夫となる将軍は徳川家茂。
- 和宮と同じ年に生まれた少年だった。
- 江戸城の大奥で和宮は孤立した。
- 御所の作法と武家の作法は何もかもが違った。
- 姑にあたる天璋院とは度々衝突したと伝えられる。
- それでも家茂との仲は睦まじかったという。
- 政略で結ばれた二人は互いを思いやった。
- だが、家茂は幕府の長として
- 京都、大阪へ何度も出向かねばならなかった。
- 慶応二年、長州との戦の最中、
- 家茂は大阪城で病に倒れる。
- 二十一歳だった。
- 出発の前、
- 家茂は和宮に西陣織を土産にすると約束していたという。
- 届いたのは夫の遺体とその反物だった。
- 和宮は髪を下ろし、静寛院宮と名を改めた。
- まだ二十一歳である。
- 同じ年の暮れ、兄の孝明天皇も急死する。
- 和宮は夫と兄を相次いで失った。
- そして戊辰の戦が始まる。
- 江戸へ攻め上がる新政府軍の大総督は有栖川宮熾仁親王。
- かつての婚約者が嫁ぎ先を討つ軍を率いて迫ってきたのである。
- 和宮は筆を取った。
- 徳川家を滅ぼさないでほしい。
- 朝廷へ嘆願を重ねた。
- 江戸は戦火を免れ、徳川家は存続を許された。
- 和宮の嘆願もその一因とされる。
- 明治十年、和宮は箱根の塔の沢で療養中に世を去った。
- 脚気だった。三十二歳である。
- 遺言は夫のそばに葬ってほしいというものだった。
- 増上寺の家茂の隣に眠った。
- そして八十年後、墓は開かれる。
- 胸の写真には若い男の姿が写っていたと伝えられる。
- それが家茂だったのか、かつての婚約者だったのか、
- 確かめる前に像は消えた。
- 調査の後、写真はただのガラス板になっていたという。
- 光に当たって消えたとされる。
- 国のために二度人生を差し出した王女が、
- 最後まで胸に抱いていたのは誰だったのか。
- その答えは今も誰にもわからない。